=序章=


私は丸岡新人、34歳。
2005年現在、私はニートである。
私のこの数奇な運命は、この世に生れ落ちたときから決まっていたようで
私の名付け親も、其れを分かっていたかのように私に新人と名づけた。
私は私自身がニートであることは隠さない。
この状況に陥った原因が必ずしも私の責任でないからである。
それらの経緯、私の過去、全てを話そう。聞きたくない者は、どうか引き下がってほしい。
     
1971年9月18日21時10分、私は東京に生まれた。私の誕生日だ。
この日は日清食品という食料メーカーがカップヌードルを発売した日でもあった。
私の父は母と私を病院へ残し深夜遅くに帰宅して、発売したばかりのカップヌードルを啜ったという。
父は製紙工場の工場長だった。母は家の近くで小さなバーを営んでいた。
父は仮にも工場長だ、我が家の金の回りは上々だった。
その為に、母のバー経営は遊び程度のもので毎晩常連や近所の人たちとパーティー気分だったようだ。
小学校六年生の時、私はひと月に一万円の小遣いを貰っていた。当時の友人たちの相場はだいたい六百円
といったところだ。
友人たちとは大いに遊んだ。金を使い、泥にまみれ、そして家に帰っていった。それが毎日続いたのだ。
私は暗いか明るいかの二択とするなら、”暗い”だろう。
それといって人を引き寄せる力だとか、その類のものは持ち合わせていなかった。それは今でも変わらないと思う。
でも当時の私はそれを持っていた。人を寄せ付ける力というのは、必ずしも自分自身ではないのだろう。
こうやって過去を振り返ってみると、世の中、そして人間とはどういうモノなのかが良く分かる。

遊び、寝る、こんなことを繰り返しているうちに時は颯爽と過ぎていった。
私の両親は、それといって学力や教育に拘らない人間だった。
1983年、私も両親も進学について特に何も話さず、流れで地元の中学校に進学した。
また新しい友達ができる。まだ私には人を引き付ける”力”があった。
ファミコン。あの当時は誰もが欲しがった。
私は両親に強請らなくとも発売当日に家に置いてあり、皆の家もそれが普通なのかと思ってさえいた。
この当時の私の小遣いは月に二万円だったと記憶している。ファミコンが買えるほどの金額だ。お釣りさえくる。
部屋に自分のテレビとファミコン。毎日のように新しい友人が押しかけてきた。”力”とは凄いものだ。
私にはまぎれもない力が存在した。しかも、それは自分で得るまでもなく自分に付いてくる好都合なものだった。
私はこうやって誰かに依存する。この両親がいたからこそ、私は”力”に依存したのだろう。